◆山田近況報告:広島再訪

岩田君の施設へ行った翌日、しばらく行っていなかった広島を久しぶりに訪ねてみました。是非訪れたい文学碑があったので、近くの平和記念公園の色々な慰霊碑や諸施設もあわせて再訪・見学してきました。

まずは改装後のJR広島駅です。随分大きくきれいになったなと言う印象です。駅2階に市電の駅があるのもウリらしいです。

その後、南口17番乗り場から出る、太田洋子文学碑のあるエディオンピースウィング(スタジアム)行きのバスに乗ります。

約15分後スタジアムに到着。バス停のすぐそばに文学碑があります。

碑には、太田洋子作品の「屍の街」からとった文章が刻まれています(天に焼かれる、、、)。この作品は、被爆を体験した著者が被爆直後の人や街の様子などをルポルタージュしたもので、その臨場感は被爆直後の様子を記録した写真や絵画のリアリティを越えるものになっています。

太田洋子の代表的2作品:

平和文庫版「屍の街」

岩波文庫版「屍の街」「夕凪の街と人と」

「いつかは書かなくてはならないね。これを見た作家の責任だもの」広島で被爆した大田洋子(1903-63)は、その体験をもとに原爆を告発する作品を多数著した。人や街が屍と化した原爆投下直後の惨状を記した『屍の街』、原爆に人生を壊され戦後八年を経てなお苦しむ人々を描いた『夕凪の街と人と』を収める。解説=江刺昭子

文学碑の横の土手に上がり、旧太田川(本川)に沿って南に200メートルほど行くと相生橋に至るが、橋を越えた左側に原爆ドームがあります。また相生橋のT字の部分から平和記念公園に北から入ることが出来ます。

平和記念公園内では、原爆供養塔、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、峠三吉の詩碑などを巡ってきました。

内部の追悼空間(犠牲者の数と同じ14万個のレンガで出来ている)と原爆死没者の情報を今でも募るポスター。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑には説明のための石板が横に設置されています。

峠三吉の詩碑もあります(父を返せ、母を返せ、、、の言葉で有名)。

勿論、原爆死没者慰霊碑と平島平和祈念資料館も訪れました。外国人観光客の数は本当に増えているなと感じました。

資料館内部の展示物の一部。

私自身は、もう生きているうちに来ることは無いかと思っていますので、最後の鎮魂の旅となりました。

*7月初め、また岡山の岩田君のところへ行って来ました

岩田君のマイナンバーカードの更新期限(引っ越し後3か月以内)があり、岡山市役所へ行く必要があったので、また施設を訪問し、昼食と買物に連れ出しました。

前回から、施設へ行くのに便利なバス路線を発見していたので、今回はこれをフルに利用しました。前回までは、山陽線の北長瀬駅(岡山から西へ一つ目)か瀬戸大橋線・宇野線の備前西市駅(岡山から2つ目)から徒歩で、全体で50分ほどかかっていたのですが、乗合バスを利用すると約半分の20分以下で最寄りのバス停(問屋町入口)に着きます。バス停から施設までは徒歩5分です。

バスは、岡山駅後楽園口4番乗り場から発車する、岡電バス13番線健康づくり財団・問屋町入口線です:

約15分で「問屋町入口」に到着します。本数は1時間2本ぐらいです:

ここから約5分歩いて施設に着きます。写真はまず自室の様子(余り片付いていません)と外出から帰った後、食堂で色々打ち合わせているところです:

少し痩せた感じですが、外出時は少し蒸し暑かったのですが、結構元気でした。

下の写真で後ろを向いているのは、介護士さんから声をかけられたのとジスキネシアと言う不随意運動(パーキンソンの主要症状の一つ)が酷くなって体が動いてしまっていることによります。次回は11月に再訪を予定しています。

◆山田近況報告:岐阜県の「地震断層(根尾谷断層)観察館」と「高木貞治博士記念室」に行って来ました。

岐阜県には親戚・家族が多くて時々行く機会も多いが、今回はJR大垣駅から出ている樽見鉄道の沿線にある2つの博物館・記念館に行って来た。

【大垣駅の時刻表と樽見鉄道の気動車(一両編成)】

「地震断層観察館」は同鉄道水鳥(みどり)駅直ぐのところにある県営施設である。濃尾大地震は、1891年(明治24年=135年前)10月28日午前6時36分に発生した、内陸地震ではほぼ最大級の震度(M8)を記録した揖斐川上流域を震源とする大地震で、東海地方を中心に甚大な被害が発生した(死者7273人、負傷者17157人、家屋全壊85848戸など)。この際にできた断層の一つが根尾谷断層で、この観察館ではその断面が子細に観察できる。

断層の断面を隣接施設地下で見ることが出来る。

断層の発生は、次の「動くジオラマ」でもわかりやすく展示されている。

 

2つ目は、同鉄道本巣駅から徒歩30分にある富有柿センターの3階にある高木貞治博士記念室である。博士は岐阜県の誇る世界的天才数学者で、皆様も大学での解析学講義の際のテキストとして、高木先生の著書に触れたことのある人も多いかと思う。

その足跡をたどると、幼少時の神童ぶりがうかがい知れるのに加え、類体論や解析学の分野で世界的な業績を上げられたことがわかる。もう一度数学と物理を学び直してもいいかな、と感じた。「解析概論」のpdf版は持っているので、久しぶりにひも解いてみようかなと思っている。

山田省二

 

 

 

*松尾君、小松君(旧堀研)の近況報告

堀先生の消息について調べているのですが、その一環として、東大物性研所属の松尾君とメールでやり取りしました。そこから、交流のある小松君、戸名君の近況も教えてもらえましたので、管理者(山田)が代理で投稿します:

最近の写真も送ってもらいました:
【2025年1月 船橋の居酒屋2件目、23時過ぎ】

松尾君からのメール:2026/06/03

山田先生
ご無沙汰しています。松尾です。
同志社大学での物理学会以来でしょうか。
何んとか無事にやっております。調べたら2018年の秋でした。
少し前に堀研の同期の小松から山田先生のサイトを教えてもらい、
山田先生の変わらぬ姿を拝見いたしました。サイトのことを教えてくれた
小松にも返事をせず、山田先生にも連絡しよと思いながら
そのままダラダラとほったらかしていました。
堀先生ともだいぶ長い間連絡を取っていませんが、メールアドレスは
把握していますので連絡をしてみます。少し前までは、阪大強磁場に
アドバイザーのような立場で週一回ほど顔を出していたようです。
私は、堀研の同期のコマツと1つ先輩の戸名さん(稲田さんと同期)と数年に1度ぐらいですが、
食事(飲み)をする機会に恵まれています。
では、失礼します。
進捗がありましたら連絡いたします。
松尾

 

小松君からのメール:2026/06/03

山田先生、松尾

  おはようございます。小松です。

私は今も同じ会社(古川電工、山田注)で千葉(市原)の工場勤務です。

今日は台風なので、ほとんどの人がテレワークなのですが、現場がありますので、なんとか出勤してきました💦

松尾が書いてくれているように、幸い柏に松尾がいますので、戸名さんを交えて年一回くらいでのんでます。

本当は、私の家が千葉大の近くなので、青木さんにお会いするべきなのですが、会えてません(お会いしたいのですが、不義理ですね)

仕事は、お陰様でAIの勢いに牽引され、会社としては好調ですが、日々大変で、そろそろ会社生活も引退したいな なんて妄想を描いております。

山田先生が関東に来られる時があれば、私も伺わせて頂ければと思います。

先生も、お身体を大事にお過ごし下さい。

 

松尾

 情報転送してくれてありがとう。また今度会いましょう。

  小松

3人とも元気そうで大変うれしく思っています。年内には一度上京するつもりですので、その際は関東の皆様に声をかけたいと思っています。皆様との久し振りの交流に加え、(佐々木君からも聞かれた)より良い老後を迎えるための助言など、私の経験で良ければお話しします。小松君、引退はまだ早いよ!老後のためには、AIブームで儲かっている電線御三家は絶対やめちゃダメです!皆様、体調を崩さぬように、ボチボチ頑張って下さい。

 

*若山君の近況報告(2026年5月)

この間、岩田君の介護に大活躍してくれている若山君に、忙しい中、近況報告を寄せてもらえました。以下、原稿をそのまま引用します:

皆様お久しぶりです。平成16(2004)年卒の若山です。現在はパナソニックインダストリー株式会社に勤務しています。

JAIST卒業後は産総研に入り、その後、松下電器産業株式会社に転職しました。社名や体制が変わり、今ではパナソニックグループのパナソニックインダストリー株式会社となりました。

数年前まではSiCのMOSFET、SBDの量産化を目指し研究開発していました。岡山や富山で半導体工場の一角にラインを引いて開発を続け、やっと量産化を果たした矢先に、残念ながらパナソニックの半導体産業からの完全撤退のため、開発してきた全ての技術は社外ファブに移管となりました。開発したデバイスは今でも生産され活用されていることは誇らしく思っています。

その後は大阪に転勤し、別の電子部品の開発をしています。この開発品については詳細をお伝えすることはできませんが、現在も山田研究室で学んだことの多くを活用できております。山田先生を始め、研究室の皆様と共に過ごした日々の賜物です。

家庭では妻と柴犬とのゆるゆるな日々を過ごしています。子供がいないため気ままな行動ができ、趣味の釣りに勤しんだり、トライアスロンで達成感に浸ったりと、良く遊ばせてもらっています。奥さんには大感謝です。愛犬は15歳を過ぎ老犬となりましたが、可愛さは増すばかりで甘やかし放題です。

私は今年で52歳となりますが、この先も開発、研究の職で使ってもらえるように日々努めています。今年の3月に山田先生、阿部先輩と久しぶりに再会し、大変に懐かしく、嬉しく思いました。

現在の自分があるのは山田先生や山田研究室で時間を共にした皆様のお陰と感謝しています。皆様ともいつか再会し旧交を温める事ができれば嬉しい限りです。

山田コメント:まだ JAIST時代からの渓流釣りを続けているんですね!あと、トライアスロンに挑戦する体力も大したものだと思います。それで陽に焼けているんですね!私の姪もずっとトライアスロンを続けていたので、どこかの大会で一緒だったかもしれないな、と思っています。 

*他の卒業生の方々も是非近況報告の投稿をお願いします!本ブログの問い合わせ欄へのメールに文章(word or pdf)と写真を添付して送って下さい。こちらで編集してブログにアップします。編集上のご希望も可能な限り受け付けます。

*2026年5月4日(月、祝)岡山へ引越しした岩田君を訪問(若山@枚方)

岡山へ引越しした岩田君を訪問

ゴールデンウィークに岡山の実家へ帰省した折、岩田君を訪問してきました。
引越し先(PDハウス岡山辰巳)へ到着し玄関に入ると、岩田君が丁度お風呂から部屋へ戻る途中で、私と玄関でばったり。「あ!若山君!」とはっきり、大きな声で呼び掛けてくれました。元気な声が出ていて、新しい場所でも問題なさそうな感じでした。
岩田君の部屋には、4月上旬に大阪から岡山へ転院した際の引っ越し荷物がまだ段ボールで積まれていたので、片付けのお手伝いをしてきました。とは言っても、量が少なかったので少しまとめて、ダンボールを4つから2つに減らしただけです。残りは次回に。
岩田君が転院した施設は、岡山勤務の時に私が借りていた住居から200m程の距離で馴染みの場所でした。近隣の地理やお店などを知っているので、いろいろと協力できるかなと思います。

今回は私が以前に住んでいた場所を紹介しながら、近所のディスカウントストアへ買い物に行き、ラーメン屋で昼食をとってきました。ディスカウントストアは、当たり前ですが値段がかなり低く設定されているので、本人は値札をみては「安!」を連発。店内を縦横無尽に4周以上したと思います。簡単な食べ物だけ選ぶのかと思っていたら、なんだか片栗粉や砂糖、炒り胡麻なんかも。こし餡も買ってたので、なにやら和菓子を自作するるんじゃないかと想像しています。岩田君は学生時代は自炊もしていたし、釣ってきた魚を一夜干しにしたり、他にも凝った料理もしていたので、きっとそうだと思います。
昼食まで一緒に過ごし、昔話やそれぞれの卒業後の事を話したり、今度、釣具屋に行ってみたいなどの希望を聞いたり、たくさん会話をしながら施設へ戻り、次回、会う約束をして施設を後にしました。

写真の岩田君が持っているのは、買い物の戦利品です。たくさんの種類が入った、かなり大きなクッキー缶です。山田先生に見つかったら怒られるなぁ、なんて言いながら逡巡していましたが、我慢できなかったようです。大きなクッキー缶は、(職員に)見つからないよう部屋に残っている段ボールの隙間に押し込まれ、はみ出たところを脱ぎ捨てた衣服で隠されていました。
次回の訪問時に、クッキー缶の中身がどれだけ減っているのか楽しみです。

若山

山田コメント:今回、彼が持っている唯一の決済手段であるDebit cardがお店で使えなかったのをいいことに、爆買い(無駄遣い)をさせてしまいました。生活保護で毎月の経済規模が決まっているので、「付け」はいずれ自分に回ってくるのですが、、、。歯が無い口でジャンクフードを大量に食べるので、これまでにも2回腸閉塞で入院しています。入れ歯を作って我慢して使用しないと体調を崩すだけでなく今極端に悪くなっている活舌も改善しません。見た目も老人のすぼんだ口になっています。こういう感じで岩田君を説得しているのですが、中々聴いてくれません。

*2026年4月9日(金) 岩田君の岡山への引越が無事済みました!

かねてより準備していました、岩田君の引越(PDハウス門真からPDハウス岡山辰巳)を去る4月9日敢行し、無事終えることが出来ました。

3週間前から準備した荷物も当日朝同じ介護タクシーに積み込み、門真の施設を朝9時半に出発しました。出発時、施設前での記念写真です。現旧の施設長と担当看護師が一緒です。

途中兵庫県龍野のサービスエリアで昼食をとり(岩田君は久しぶりのカツどんを堪能しています)、午後1時半ごろ無事施設に尽きました。所用時間約4時間でした。

以下の写真は、新しい施設の居室とリハビリ室です。到着後、2時間位は、岩田君も参加して、新しい施設スタッフの紹介と顔合わせを兼ねた打合せを行いました。参加者は、ケアマネ、担当看護師・介護師、薬局の人、アメニティ会社の人など多数で、一度には覚えきれません。また同時に、沢山の書類に住所・氏名の記入を要請されました(私(山田)はキーパーソンとして)。食事の写真は、翌10日の昼食時のものです。私も一緒に食堂で食べました。

私は10日で大阪に帰ってきましたが、PC用のシステムデスクを組み立てたのみで、荷物の開梱や整理が余り出来ていません。施設のスタッフの力を借りながら、ボチボチ生活環境を改善していきたいと思っています。

岡山は皆様ご存知のようになかなか良いところで、機会があれば是非立ち寄ってみて下さい。写真は岡山城の近影と県立博物館(後楽園の向かいにある)の正面玄関です。

 

*佐々木君(旧堀研)の近況報告

旧山田研・堀研の皆様

2002年に堀研究室を卒業し、2009年はポスドクとして山田研究室でお世話になった佐々木です。ご無沙汰しております。

 早いもので私は今年で55歳になります。

 現在は所属先の会社(北陸電気工業)で開発した製品の量産化のため2023年末から生産移管先の関連会社に出向しております。

https://dempa-digital.com/article/661103

量産立ち上げや顧客対応が増えて業務スタイルがだいぶ変わりましたが、先生から頂いたチャンスで入社できた会社ですのでそれなりに貢献してリタイヤしたいと思います。

  また、身体的には老眼が進んだ以外は何とか大病を患うことなく元気にしております。その代わり、妻が一昨年に乳がんと申告され、昨年には患部除去手術を行いましたがお陰様で現在は再発も無く順調に回復しています。そして、双子の娘は3月に高校を卒業し、4月から長女は富山県内の短大に、次女は埼玉県新座市にある大学に進学します。以前、先生がこの年代になると金がかかると仰っていたのを身に染みて理解できました。

 末筆ですがいつか先生にお目にかかり、ゆっくりとお話しできる日を楽しみにしております。もしお会いできたらセカンドキャリアについてのアドバイスが頂けると嬉しいです。時節柄、くれぐれもご自愛ください。

 恥ずかしながら近況の写真を送ります。2枚目の写真は右が長女で左が一才の時に山田研BBQで先生が抱っこしたら大泣きした次女です。尚、本人は大泣きしたことを全く覚えていないそうです。

 それでは。

㋹パーキンソン病についての解りやすい解説記事

一つ前の岩田君についての報告で、彼がパーキンソン病であること、発症以来ほぼ10年が経過した今、同病関連の専用老人施設にいること等を紹介しました。知らない人も多いかと思いますので、この病気と近く始まるiPS細胞による治療について解説した記事を掲載しておきます。

彼は40代で発症していますので、若年性なのですが、どうも家族性らしく、有効な治療法がない今、症状は徐々に進行しています。来月(元)家族の居住地に近い岡山に引っ越すのですが、岡山でiPS細胞治療を受けられる見通しはまだ立っていません。それは、治療薬がまだ条件付き承認なので、対象になる患者が7年間で極めて少ない(35人)からです。

 

pdf:世界初のiPS細胞治療、対象は少数でも患者が抱く「かすかな希望」:朝日新聞

これからも生活保護下での厳しい施設生活が続きますが、同窓生の力も借りつつ何とか支え続けていきたいと思っています。また私自身は、この間彼の独り暮らしを支える中で、老人施設のこと、障害年金や生活保護の申請のこと等、色々学びましたので、今後皆さまが自身の親のことなどで困ることが有りましたら、相談に乗れるかもしれません。私も既に高齢なので、どれだけお役に立てるかどうかわかりませんが。

山田省二

*日高君の大阪での送別会を開きました!

去る3月9日(月)、日高君(2026年3月まで大阪大学理学部勤務)の大阪での送別会を開きました!彼の出身大学である大阪工業大学でお世話になった先生の一人である藤元先生にご同席頂き、地下鉄谷町線守口市駅近くの和食さとで昼食をともにしました。

移動先は、産総研の量子関係の大プロジェクトに関わるようです。研究も出来そうなので、可能であれば、いま少しやっている共同研究も継続したいと思っていますが、多忙になりそうなので暫くは無理な印象です。

知り合いも多い筑波ですので、何とか新しい環境にも比較的速く慣れるかとは思いますが、体調を崩さず頑張ってもらえたらと思っています。連絡はひとまずこちらでも仲介しますので、コンタクトを希望される方は是非ご連絡下さい。